大学の場合、教職課程を経なくても教員になることが可能です。極度に学問的に細分化された専門的事項を講義ないし実験により指導することになるため、中高の指導要領のようなものを作ることができません。教員が最も望ましいと考える教科書や資料、論文などを利用して、専門教育を展開します。 このとき、教育のよりどころとなるものは、自分がどうやってその専門的分野の各事項を理解してきたか、ということであろうかと思います。そして、教育スタイルや手法は、それがよいか悪いかは別として、自分が受けてきた教育を踏襲することが多いと思います。FDについて考える機会もありますが、大学全体としては教員の考え方、バックグラウンドが専門分野によって千差万別であることから、共通的な取り組みが難しい点も多々あるように感じます。 最近、従来は座学で指導していたトピックを、面白い実験で代替して理解させようという取り組みが行われることが増えてきました。わかりやすくて面白い実験を設計し、授業として取り入れるのです。これは一見、よいように見えるのですが、もともと教育で実現すべき指導事項の理解という狙いが損なわれ、座学で行うのと比較して遊びの要素が強すぎてしまい、ただ単に遊んでいるだけに過ぎなくなってしまっているケースも少なくありません。それでも、学生が喜ぶので、それを続けてしまう、ということになります。学生が喜べばそれでよいのか、という点には、あまり意識が及んでいません。 教員には、ある専門的トピックを理解させることについて責任を持つべきであると思います。学生が楽しく遊べる実験を行うことで本質的な問題理解を避けて通ってしまい、学生をかえってダメにしているのではないのだろうか、と危惧することがあります。単に、楽しい実験をやれば、その場が楽しければそれでいい、というものではなく、学生をダメにする教育、そうでない教育というものについて、もっと議論が必要と思います。教育の品質というものに対する責任について、考えるべきであろうと思います。 テーマ:研究者の生活 - ジャンル:学問・文化・芸術
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