研究室何処へ
研究室の日々,大学の日々を綴ります
教員公募選考
 教員公募の選考の現場は大学によって様々なかたちがあると思いますが、大きく分けて3つぐらいのパターンがあるように思います。
 まず1つめのパターンは、まったく外部に公募しない人事で、現職教員ないし組織がコネクションを持っている特定の研究者をターゲッティングして、採用をかけるケースです。業績面で秀でた研究者を特定してスカウトするケース、採用対象ポストの研究分野が明確に特定されているケースなどが該当します。コンタクトを持つ現職教員が「保証人」となるので、採用する側の組織の構成員からみると安心感があります。 
2つめは、いわゆるデキ公募といわれるもので、あらかじめターゲッティングされている研究者は存在するけれども、念のため公募をかけて様子を見よう、というケースです。ターゲッティングされている研究者以外で、優れた研究者が応募してきた場合には調査して選考検討対象にするケースがあります。
 そして3つめは、ターゲッティングされている特定の研究者がなく、完全にオープンな公募で採用をかけるケースです。年齢、経歴、業績、活動分野、教育歴などが考慮され、採用候補者の絞込みがなされます。オープンなので、応募者の論文や研究領域と担当科目との整合性の調査などが大変ですが、想定外の良質な候補者が出てくる可能性があります。もちろん、その逆もありますが。

 採用において重要視される要素は、おそらく、大学によって異なると思います。研究志向の大学では業績と研究分野に注目が集まり、教育志向の大学では教育歴が重視されるでしょう。応募者間の関係について、調査がなされることもあります。1つの分野で公募をかけると、同じ研究室から複数の応募があるケースがあります。同じ研究室の所属であるということは、同じ分野をやっている人ということを意味するので、公募先が同一になるのは極めて自然な現象ですが、偏りや偏見のない選考が必要だということだと思います。

 

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前期試験期間前
 もうすぐ7月,講義も既に終盤で,前期の試験期間が近づいています.この時期になると,普段は欠席していて勉強しない学生も,単位が心配になるのか,講義に出てきたり質問してきたりします.

 しかし,残念ながらこれらの学生が定期試験でよい成績をとれる可能性はほぼ皆無といって過言ではありません.そもそも,毎回講義に出席していて必死で勉強している学生でさえ,専門性の高い科目の講義の蓄積をキャッチアップするのは,極めて大変なことです.それほどまでに,現在の科学技術の理論は,高度かつ大量の知識を要求しています.

 たかが十数回の講義で広範な技術的トピックをできる限り深くカバーしようと,教員が欲張ること自体にも無理があるのはわかっています.それでも少しでもカバーしようとすると,講義は相当な進度で進行せざるを得ません.学生には気の毒だと思うのですが,科学技術の現状を考えると知識偏重教育は「止むを得ない」ことだと思っています.限りある講義時間内に,必要なことを詰め込まなくてはなりません.必要なことを必要なレベルでカバーするという点において,講義科目の品質は落とせません.

 一方,一部の大学では,大学当局の方針に立脚するとしばしば,講義科目の品質がおろそかになりがちであることにも触れておかねばなりません.かつて, anywhereには大量の学生を相手に,大量の授業コマ数をこなしていた時期がありました.こうした状況下において教育の品質を確保することは,既に諦めざるをえませんでした.教育レベルの理想はあってもそれを実現する環境が確保できないのは,学生にとっても教員にとっても不幸なことだと感じていましたが,これも教育というビジネスだから止むを得ない,大学当局の方針に沿ってやればそれでいい,と,割り切っていました.
 大学の講義や演習実験の質は,受講人数,教員の講義・演習実験準備にかける時間と,明らかに連動しています.担当科目数,当該講義の受講生の数が少なければ,毎週回収するレポートの採点やチェック,返却,個別のケアに十分な時間を割くことが可能になります.一方,あまりにも受講人数が多いケースでは,レポートの採点や個別の学生フォローを行うことは,どう考えても物理的に不可能です.よい講義をするには新しい教材を開発したり,講義プランを検討し,学生の理解やスキルの状況にあわせて内容を改善したり課題を入れ替えたりするための時間が必要です.しかし,教員の労働時間(24時間のうち仕事に割ける時間)は有限なので,できることには限りがあります.教員という人的資源が限りあるものである以上,講義コマ数や受講学生数と,教育の品質とのトレードオフについて,もっと注目が集まってよいと思います.

 何はともあれ,定期試験を前に,知識を詰め込んでそれを理解する−学生にとってあらゆる科目がその繰り返しであったとしても,そこに何か少しでも残って欲しいと感じます.

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出張にて
 今日から出張です。新幹線の車窓に広がる水田の若草色が鮮やかです。天気は良くありませんが、日本の風景は安らぎを与えてくれます。雨に煙る竹林や霞む山々が、次々と車窓を流れていきます。周囲の座席には、ビジネスの資料を広げる人や、パソコンで資料を作る人、雑誌を読む人、デジカメで写真をとる外国人旅行客など。それぞれが思い思いに時間を過ごしています。

 研究者という仕事に就いてよかったと思うのは、ある程度自分のペースで仕事に取り組むことができるということです。もちろん、講義準備や採点業務など期日待ったなしの仕事も多いのですが、論文執筆など他の仕事から独立してスケジュールを決めることができる性質の仕事もあって、全般的には自分のスケジューリング権限を自分の手中に収めることができます。
 逆に、自分で積極的に休息しようとしないと、いくらでも仕事を詰め込んでしまうことが可能です。投稿論文の投稿前の推敲作業や他の原稿執筆の仕事、卒論提出前の論文コメント指導などがたてこんでくると、数日間、睡眠時間を相当に削って対応することも少なくありません。どんどん仕事を詰め込むと、それによって生活のリズムが崩れて体に悪いので、自ら意識して気をつけなければなりません。若い頃は勢いでこなしていた(正確に言えば、こなせていた)のですが、今は何事も計画的にやらねばなりません。

 今週前半は多くの仕事で忙しかったので、この出張はいい気分転換になります。まだ暑くなる前で、しのぎやすいので助かります。今月はもう1回、出張の予定があります。
 講義をこなしながら半月も経てば、いよいよ7月。夏の到来です。

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研究室のスタイル
 研究室は、研究者や学生にとってどのような場所であるべきか、ということを日々考えます。

 anywhereの育った研究室は超・放任主義で、研究指導といえるようなものは、殆ど無いに等しい状態でした。研究室に配属になった頃、教授から指示されたことは、研究に徹するための具体的かつ僅かな指示のみでした。それだけでも十分なインパクトがあったので、教授の指導とはそのようなものだと思っていました。
 今思えばこの研究室のスタイルが、それぞれの学生の資質に基づく、ある種の進路選択の過程であったような気がします。自分は何ができて何ができないのか、研究者として生きていくのか、企業社会に出ていくのか・・・自分を知ることがまず先にありました。そして進路選択は、研究室の中の環境として存在していました。
 
 これからの研究室のスタイルは、どうあるべきなのでしょうか。自分が育った研究室と同じスタイルでやればうまくいく、という保証はどこにもありません。放任主義をとるのは、相当に勇気がいることです。かといって、手取り足取りでは学生が育たない気がします。研究室は「創られていく」部分もある気もします。答えがでるのは、ずっと先になりそうです。
 
 

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英語力
 最近、入試科目の英語の代わりに、TOEICやTOEFLのスコアが使われることが多くなってきました。TOEFLは本来、海外留学希望者を対象とした試験だったせいか、国内の大学院受験希望者が殺到するという事態は想定されていなかったのだと思います。特に、TOEFLはコンピュータを利用した試験形態となったことから、受験会場の定員に限りがあって、大学院入試の出願を目前にスコアを取得しなければならない4年生が殺到し、どこの受験会場も満席になっている模様です。運よく受験会場の予約がとれても遠隔地だったりして、学生たちは右往左往しています。
 ところで、4年生でTOEFLにまともに太刀打ちできる学生はどれほどいるのだろうか、と思いを巡らせました。
 国際会議の場で、プレゼンテーション後の質疑応答の内容が理解できず、冷や汗を流しながら立ち往生する博士課程の学生を、これまで何度も見てきました。博士課程の学生にとってデビュー戦の国際会議は大変な緊張を伴うものなので、一般にはプレゼンテーションについては万全の用意をして出かけます。従って、発表講演は完璧なのですが、問題は質疑応答で、こちらは想定問答どおりにはいきません。質疑応答以前に、何を質問されているのかが聞き取れなければ、手の打ちようがないのです。

 日本人が多い会議であれば、概ねフロアにいる日本人研究者が質問内容を日本語に通訳して教えたり、場合によっては、共著者の教員が学生に代わって回答したりします。質疑応答困難な学生だとわかると、外国人による質問から学生を守るように、日本人教員が分かりやすい英語で学生に質問を投げかけて質疑応答の時間をやりすごす、といった、荒手のテクニックを駆使して乗り切ることもあります。
 国際会議では、バンケットやコーヒーブレイクでの各国研究者とのディスカッションや歓談も楽しみのひとつです。宿泊ホテルが一緒であれば、毎日の朝食や夕食も共にしながら、研究上の悩みや将来の課題についてディスカッションしたり、あるときは雑談でリラックスすることが可能ですが、英語ができなければそうした楽しみは半減してしまいます。
 おそらく、企業に就職する場合でも同様で、高度な職業人として国際化するビジネスのニーズに柔軟に対応できることは企業人として必須であろうと思います。と考えると、博士課程のみではなく、修士課程においても、分野を問わず英語は重要なものとなるでしょう。

 本来は、修士・博士課程入学前に、研究活動に必要な最低限の英語力は身に着けておくのが理想的ですが、なかなかそのようにはなっていません。こうした現状から考えると、大学院入試の英語を、実践的なコミュニケーション能力にターゲットを置いているTOEFLやTOEICで代用するというのは、会場の予約できないという事態を除けば、あながち悪いことではないように思います。英語論文を読解できる能力はもちろん重要ですが、それ以上に、日本語英語を問わず、コミュニケーション能力全般を高めるという視点が見出されていくべきであろうと思います。
公募の季節
 JREC INと呼ばれる研究者向けの求人サイトがリニューアルされました。検索機能重視となり、一覧性に乏しくなったような気もしますが、しばらくすれば新しいインターフェースに慣れるでしょう。
 大学では、これから秋までの季節が教員公募の第一のピークです。一般に、年度末で退官する教員の世代交代要員の公募である場合は、前任者が退官する前年の夏、あるいは前々年の夏に公募情報が公開されるからです。そして、第二の公募のピークは冬です。秋に他大学に引き抜かれることが判明した教員ポストについて、その空白を埋める玉突き人事が動く時期です。
 面白いことに、既に専任ポストを得ている教員も、案外このJREC INという求人サイトを頻繁に見ているようです。専任教員となっても、ステップアップを希望する場合は、このJREC INを頼りにしています。また、研究者仲間の間では時々、○○大学で△分野の人事が出ているね、××大学のポストはデキ公募だろうか、と噂になります。狭い世界なので、よく知っている研究領域や大学の公募であれば、新設学科でない限り、公募対象の大学名と公募分野から、それが誰の異動後のポストであるか、同定できてしまうケースも少なくありません。

 リニューアルされたJREC INを眺めていると、民間企業の研究所の研究開発職や専門学校の教員公募も含まれていることに気がつきました。以前から大学機関以外の公募もJREC INの中に含まれていたのだと思いますが、改めて博士号取得者の進路が多様化しつつあるのだということを実感しました。博士号取得後の進路が多様化しつつあるのはよいことだと思いますが、依然として博士号取得者の進路決定は非常に厳しい状況に置かれています。この春も、長年の努力の結果として学位を取得しながら、大学教員として研究室を主宰するという道をこころざし半ばで断ち切って、大学を去っていく若手の背中を見送りました。もう少し何か、力になることができたのではないだろうか、と思ったりします。