もうすぐ7月,講義も既に終盤で,前期の試験期間が近づいています.この時期になると,普段は欠席していて勉強しない学生も,単位が心配になるのか,講義に出てきたり質問してきたりします.
しかし,残念ながらこれらの学生が定期試験でよい成績をとれる可能性はほぼ皆無といって過言ではありません.そもそも,毎回講義に出席していて必死で勉強している学生でさえ,専門性の高い科目の講義の蓄積をキャッチアップするのは,極めて大変なことです.それほどまでに,現在の科学技術の理論は,高度かつ大量の知識を要求しています.
たかが十数回の講義で広範な技術的トピックをできる限り深くカバーしようと,教員が欲張ること自体にも無理があるのはわかっています.それでも少しでもカバーしようとすると,講義は相当な進度で進行せざるを得ません.学生には気の毒だと思うのですが,科学技術の現状を考えると知識偏重教育は「止むを得ない」ことだと思っています.限りある講義時間内に,必要なことを詰め込まなくてはなりません.必要なことを必要なレベルでカバーするという点において,講義科目の品質は落とせません.
一方,一部の大学では,大学当局の方針に立脚するとしばしば,講義科目の品質がおろそかになりがちであることにも触れておかねばなりません.かつて, anywhereには大量の学生を相手に,大量の授業コマ数をこなしていた時期がありました.こうした状況下において教育の品質を確保することは,既に諦めざるをえませんでした.教育レベルの理想はあってもそれを実現する環境が確保できないのは,学生にとっても教員にとっても不幸なことだと感じていましたが,これも教育というビジネスだから止むを得ない,大学当局の方針に沿ってやればそれでいい,と,割り切っていました. 大学の講義や演習実験の質は,受講人数,教員の講義・演習実験準備にかける時間と,明らかに連動しています.担当科目数,当該講義の受講生の数が少なければ,毎週回収するレポートの採点やチェック,返却,個別のケアに十分な時間を割くことが可能になります.一方,あまりにも受講人数が多いケースでは,レポートの採点や個別の学生フォローを行うことは,どう考えても物理的に不可能です.よい講義をするには新しい教材を開発したり,講義プランを検討し,学生の理解やスキルの状況にあわせて内容を改善したり課題を入れ替えたりするための時間が必要です.しかし,教員の労働時間(24時間のうち仕事に割ける時間)は有限なので,できることには限りがあります.教員という人的資源が限りあるものである以上,講義コマ数や受講学生数と,教育の品質とのトレードオフについて,もっと注目が集まってよいと思います.
何はともあれ,定期試験を前に,知識を詰め込んでそれを理解する−学生にとってあらゆる科目がその繰り返しであったとしても,そこに何か少しでも残って欲しいと感じます. テーマ:研究者の生活 - ジャンル:学問・文化・芸術
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